夕方6時。そろそろ晩ご飯の支度をしないといけない時間。
でも、一人分だと思うと、どうしてもやる気が出ない。
「作らなくてもいいんじゃない?」と、もう一人の私がそっと囁く。
「いやいや、少しは頑張ろうよ」と、別の私が真面目な顔で叱咤する。
そのふたりが頭の中で小さく言い合いを始める。
レシピサイトを開いてみても、う〜ん…と唸ったまま手が止まる。
毎日だいたい、こんな感じ。
結局、冷奴とトマトサラダ。
それから、シリアルに牛乳をかけただけの、気の抜けたような晩ごはんが出来上がる。
器をテーブルに置いた瞬間、ちょっとした罪悪感と「まぁいっか」と思う気持ちが同時に湧き上がる。
今日はそんなにお腹が空いていない。
無理に食べてもお腹が痛くなるだけだし。
とりあえず自分の体に何かを入れようとしている。
その“少しの頑張り”を、認めてあげようって最近は思う。
でも体は正直だ。
しばらく“気の抜けたような食事”が続くと、体のほうがそろそろ何かちゃんとしたものを欲してくる。
そういうときは、少しだけ頑張っておかずを作る。
その“少し”が、いまの私にはちょうどいい。
夫が元気だったころ、子どもたちが家にいたころは、どんなにきつくても主婦としての義務感で動いていた。
夕食は毎日の“やるべきこと”で、手を抜くという選択肢はほとんどなかった。
でも、最近は思う。
そろそろ、その義務感から解放されてもいいのかもしれない。
家族のために頑張ってきた長い時間があって、
いまはようやく、自分のためだけに食べる時間がある。
体の声を聴きながら、その時々で食べたいものを選ぶ。
それがこんなにも気楽で、こんなにも軽いなんて、昔は知らなかった。
冷奴のひんやりした感触も、トマトの酸味も、
シリアルの軽さも、いまの私にはちょうどいい。
誰かに見せるためじゃなく、
“今日の私が食べられるもの”を選んだだけ。
それでいいかな。

コメント