“誰かが言えばいいのに”と思いながら動いてしまう私 - 50代シンママの小さい暮らし

“誰かが言えばいいのに”と思いながら動いてしまう私

日々のこと
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役員を降りて、ようやく肩の荷が下りたと思っていた。
もう前に立つ必要はないし、裏方として関わるくらいがちょうどいい。
そう思っていたのに、現実はなかなか思うようにはいかない。

私は子育て関連の親の会に20年以上在籍している。
講師を呼んでの講演会を開催することもあるけれど、メインの活動は茶話会。
会員同士で悩みや成功体験を語って情報交換をするこの時間が意外と好評。

「茶話会しようよ」は誰でも発起人になれる。
なのに誰も声を上げようとはしない。
そこが不満。

そしてとうとう自分で声かけてしまった。
「そろそろやりたい人、いるんじゃないかな」
気になっている会員さんに声をかけてみた。
すると、あっという間に日程が決まり、参加希望のメッセージが次々と届いた。

「楽しみです」
「参加します」
そんな言葉が並ぶたびに、胸の奥が少しだけ複雑になる。

みんなが喜んでくれるのは嬉しい。
でも、私はもう“発起人”ではないはずだった。
役員を降りたのに、結局また私が動いてしまう。
そして動けば、周囲は安心したように乗ってくる。

どうして私は、こういう役回りになってしまうんだろう。

たぶん、気づいてしまうからだ。
必要なこと、困っている人、空気の流れ。
そして、動こうと思えば動けてしまうからだ。
それが長所でもあり、同時に負担にもなる。

本当は、二番手でいたい。
裏方で、静かに支えるほうが心地よい。
でも、周囲が受け身だと、どうしても前に出されてしまう。
「あなたがやってくれるでしょ」と、無言の期待が積み重なっていく。

期待されるのは悪いことじゃない。
でも、期待され続けるのはしんどい。
自分のペースで関わりたいだけなのに、気づけば中心に立っている。
そんな自分に、時々ため息が出る。

これからは、少しずつ距離を調整していこうと思う。
やらなくてもいいことは、やらない。
誰かが動くまで、あえて待つ。
「自分のためにもあえて動かない」そう決めて2年頑張った。
結果として会は存続するかどうかのギリギリのところまで落ちてしまった。

というか、私以外の人が声をあげなかっただけだ。
「茶話会しようよ」ってひと言いえばいいのに。

「受け身の人が増えたなぁ」って最近思う。
受け身ってすごく楽なんだもん。それはわかる。
でも、ちょっとの勇気があれば自分も周りも救われるのに…

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