メディアに出ていた人が癌で亡くなりました。
先日「体調が悪くなった」とネットニュースの記事を見たばかり。あまりにも早い旅立ち。
最近の方はガン公表しても精力的に仕事をし、やりきって旅立つ人が多いように思います。
医療の進歩って目覚ましい。
ガン=寝たきりではない。
治療を続けながら家族がびっくりするほど本人は動く。
でも突然終わりはやってくる。
訃報のニュースを見るたび「わが家もそうだったなぁ」と思い出します。
それは私たちが夫の闘病を応援する癌家族だったから。
夫の闘病記録
私たち家族は2021年のクリスマスにガン闘病していた夫とお別れをしました。
- 2018年春に初期のスキルス胃がんが見つかり、胃全摘
- 1年間抗がん剤治療
- 2020年春に再発、抗がん剤治療
- 2021年12月、クリスマスの朝に亡くなる
最後は在宅医療を選択し、家族で夫の最期を見届けました。
健康診断で見つかった小さな胃潰瘍
夫の職場が異動になり、いつもより早めに受けた健康診断。
その時に見つかった小さな胃潰瘍。
「たぶん大丈夫だと思いますが、念のため検査に出しますね」
と担当医師に軽い感じで言われたとのこと。
当時、夫は私にそう報告したような記憶があります。
実はこれが将来スキルス胃がんに育つ腫瘍だったなんて。
やりたいことをやりきった3年10ヶ月
夫は食べることが大好きでした。
好きなものをお腹いっぱい食べたいタイプ。
食べ放題、飲み放題をこよなく愛し元を取らないと気がすまない。
そんな人が「胃のない生活」をしたらどうなるんだろう。
私の心配なんて気にもとめず胃がない人とは思えない食べっぷり。
結局ダンピングに苦しむもんだから、最後は呆れて見てました。
いま思えば「食べることができることが生きてる証」だと思っていたのかもしれない。
旅することも好きでした。
こだわっていたのは「ビンボー旅」。
いかに格安で目的地に着くか。
青春18切符をあれだけ活用した人も珍しいと思います。
抗がん剤を使いながら仕事も続け、食べて飲んで旅をして。
やりたいことはやり切ったのかな。
緩和ケアではなく在宅医療を選んだ理由
胃がなくなっても精力的にやりたいことをやっていた夫。
普段と変わらない生活を続ける夫を見て
「病人って感じじゃないよね。案外動けるじゃん♪」
と楽天的に見守っていたのですが、時間とともにやせ細り体力も落ちてきました。
抗がん剤も途中薬を変えながら治療を続けましたが「これ以上できる治療はありません」と医者から言われる日がやってきました。
治療を受けていた病院には緩和ケア病棟はなく転院を勧められたのですが、私はできるかぎり自宅で過ごせるようにしたいと考えていました。
夫はマイペースで頑固な所もあり、看護師さんを困らせている様子。本人も入院生活に相当ストレスを感じているようだったので、可能なら家がいいと思ったんです。
それで家の近くにある訪問診療をしてくれる病院を紹介してもらい、在宅治療の準備を進めることに。
ケアマネージャーの訪問、必要な介護用品をレンタル、訪問看護ステーションと契約…という風に3日ほどで環境が整ったのは驚きました。
実は訪問診療の初診のときに「もしかしたら年を越せないかもしれない」とそっと言われたのです。「えっ」と思いました。その日は12月2日。亡くなる約3週間前でした。
悪くなってるとは思ったけれど、ここからしばらく寝たきりで介護が続くと思っていたので、あまりの時間の少なさに茫然としたことを覚えています。
在宅診療に切り替えた直後、夫は自分でトイレにも行っていたし、リビングで過ごすこともできました。
だんだん介護が大変になってくるだろうと覚悟していましたが、それほど手を煩わせることなかったです。
ラスト3週間は忘れられない時間
在宅療養に切り替えての3週間は、結婚生活の中で一番会話した時間だったように思います。
いつも一方的で自分のことばかり話し、会話が成立しなかった夫。私からの問いには返事もなくてストレス感じてたこともあったけど、珍しく会話のキャッチボールができた。
なので最後の3週間は私にとっても中身の濃い充実した時間でした。
亡くなる数日前からせん妄がでて、興奮気味に話す夫に「うんうん」と頷きながら楽しく話を聞くふりして、お湯を沸かしながらざわつく心を落ち着かせたり。
最後の日、夫はいつも通りメモ帳に今日の予定を書いてました。頭の中では仕事していたんだと思う。メモには仕事のタスクがびっしり。
会話も普通だったのに、昼前に一瞬だけ「あれっ」と思う瞬間があった。ちょうど往診にきた医師からは「今夜あたり。そろそろですよ」と言われる。
その後は普段通りだったけど、気になって看護師の義妹に来てもらった。「まだ大丈夫なんじゃない?」と言われて安心していたのに。
その夜夫は旅立っていきました。
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